ロールバック

西で戦争が起きている。ガソリン代が高くなったぐらいのいつもの日常が続いている。

009で言うところのブラックゴーストは確かに存在していて、いつも戦争の火種を蒔いて回っている。でも009達は存在しないからきっと戦争はなくならない。自己犠牲なんて結局のところフィクションでしかなく、人間はいつも自分の立場や利益を守ることに必死だなと身の回りをみていて思う。そういうことは疲れるから生きることは大変だと思う。私は大切なものの為に生きたいと願うけど、きっと人間は誰も光の中を歩けない。

本当に必要なものなんて何一つなくて、同時に本当に不必要なものなんてない。必要のないものの多い人生の方がいいに決まってるのに、それを寂しいと思ってしまうから上手に生きられない。

飲み込めない現実をフィクションで薄めすぎて味がしなくなった。飲む気すら起きないまま気づけば黴が生えるだろう。

致し方ない話でしかない

自分では克服したつもりでも、どうも根は変わらないものだと思った。何度でも己と出会う。


最近はまたメンタルを崩して会社を休んだりしていた。毎年崩しているし、そのことを考えるとうんざりしてしまうので考えないようにしているけど、できるだけちゃんと考えるべきであるとは思う。取り敢えず今は元気になることに集中している。具合が悪いときは寝て、気晴らしもする。おかげで体調は大分良くなった、とは思う。

年末年始は珍しく体調を崩した。メンタルがフィジカルにくるタイプなので体調は常に悪くはあるのだけど、それとは別に大腸炎を患い床に臥した。永遠に尻から水様便が出るため夜も寝れず、発熱に喘いだ。ウィルス性の病気にかかるのはいつ以来だろう。

また、年末は放置していた第一小臼歯の虫歯が著しく悪化し、痛みに耐えかね歯科を受診した。無麻酔ドリルは痛かった。真横に生えたまま放置していた親知らずも抜いて貰った。長年苦しめられていたので、治療が進むたびに目に見えて快適になっていくのが心地よかった。

a.k.a.医者嫌いの私なのですがこの年末年始は病院に通いまくった。寧ろ現在進行形で通っている。心境の変化ではあるなと思う。自分をもう少し大切にしようと思ったから。健康のためなら死んでもいい。


一人暮らしをしようと思ったので部屋を借りた。一人暮らしをしようと思った理由は色々とあった。実家にいると生活が雑になること、溜まった本を整理したいこと、作業するスペースが欲しかったこと、友人とゆっくり会える場所が欲しかったこと、通勤を楽にしたかったこと。部屋の壁一面に漫画を並べたいという夢を叶えるために車にパンパンに漫画を積み込んで4往復するのは地獄だった。多すぎて売ってしまおうかとも思ったが、なかなか手放そうと思える作品がなかった。こんなにたくさんの素晴らしい漫画を読んだのに、アウトプットをしてこなかった事を後悔した。


自分の殻に籠もることの勿体無さを知っているから、一歩踏み出したりもしたけれど、根の臆病が治るわけではなかった。自分に自信をつけるために色々としてきたつもりでも、不安が消えることはなかった。
悩んだり怯んだりすることも沢山あるけど、身を削ってでも貫きたい信念や自分にとっての正義があることは幸福なことであると思う。

五年前の世界

だからお前は間違っている。いつしか誰も言わなくなった言葉を思い出す。

最近思う事は私は仕事選びを間違えたのかもしれないということ。仕事は能力でやるものだと思っていたけれど、性格でやるものなのかもしれない。私は美しくて完璧なものを作りたかった。けれど、世の中にそんなもの少ししかない、そのことの意味に漸く気づいた。私の中に手掛かりはあるが、答えはない。大人は嘘をついて騙すから何も信用してはいけない。すべてを疑って真実を見つめなければいけない。プライドを捨ててしまえば楽になるかもしれないけど、誰にも必要とされない。誰かに必要として欲しかったから、私は誰よりも都合のいい人間に成り下がった。誰も私に手を差し伸べなかったのは、自分の身を自分で守るのが大人だから。社会は敵なので何度でも私を殺そうとする。私は手元にあったナイフを捨ててしまった。抗うことも自死もできない。

波に飲まれて深く沈んだ海の底で光を見たので、もうしばらくは生きることにした。辛いのはお前がちゃんと生きてこなかった罰だ。今更死んで楽になろうなんて虫のいい話なので、背負う苦しみを覚えて死ね。前に進むためには甚大な努力と覚悟と運がいる。努力には限界がある。それでもいいと思える茨道があることを今はただ幸福に思う。
誰かを利用することに慣れてしまうのが大人なのだろうか。諦めることに慣れてしまうのが大人なのだろうか。大人は音楽を聴いて泣くだろうか。歳を重ねる感覚は次第に薄れる。いつまで経っても大人になれないでいる。

無題

生きていることを、あの日ちゃんと死ななかったことを後悔する日ばかり増えてしまう。どんどん生き方がわからなくなる。ご飯を食べると胃と腸に酸素を持っていかれるので脳に酸素が回らず苦しい。花や海すら別に見たいと思わなくなった。幾ら寝ても夢ばかり見るので体が休まらない。蛍光灯が眩しすぎて辛い。誰にも会えない。嘔吐ばかりして辛い。誰にも大切にされない。病院にいって治療しろといわれているけど、根本的には何も解決しないことを知っている。私がこういう性格だから、自分を守れないからどうしようもない。無理がほとんど効かなくなってきたけれど、まだ無理ができるので本当にどうしようもなくなったら仕事をやめてできるだけ誰にも迷惑のかからない形で死のうと思う。安心して死ねるので何も背負ってなくてよかった。何も背負ってこれなかったからきっとこんなに生き甲斐がないのだけれど。ずっと頭と首が痛い。何もしたくない。

給水塔とアイスクリーム

すっかり寒くなった。冬の匂いがするので久しぶりに日記を書く。



先日、久しぶりにライブをした。人生二度目の配信ライブだ。前回のライブは酷い出来だったので頑張った。今回も良くはないけど前回よりはマシになったのでよかった。相変わらず音程が取れてないし、ギターはひどいけど。
ライブってなんだろうと思ったとき、それは自己表現の場であるけど、同時にコミュニケーションのツールであると思う。ただ、配信ライブだとリアルタイムでのレスポンスを受けるのが難しい為、生ライブとの差を改めて認識することで、今回のライブの指針を決めた。
生ライブでは、お客さんは基本的に『ライブを観る』以外の行動は基本的に制限されてしまう。故に、ライブそのものが自分の好みではなかった場合なかなか苦痛な時間を過ごすことになることもある。私の曲は万人受けするタイプのものではないので(好きなアーティストが基本的にメインカルチャーではないことから)幅を持たせる様にしている。例えばオリジナル曲は暗めなので、明るく面白い曲やギャグを間に挟むことでハマらない人にそれだけを与えないようにする、等。また、ギャグや面白い曲をやることで場を和やかにできるので自分自身の緊張も解く効果があったりする。
逆に配信ライブでは行動の制限がない、つまり寝ながらでもゲームしながらでも漫画読みながらでも視聴が可能であり、なんなら見る見ないの自由度も高い。故に偏った内容でもハマらなければそのときはそのときで片付けられると思った。またレスポンスが得られにくいという点で、ギャグや面白い曲が滑ってるのかどうかがわからないのが本当に怖い。一人で舞台上でふざけるだけで怖いのに、反応がわからないのは本当に怖い。なので今回はおふざけなしのライブをやった次第です。

新型コロナウイルスの感染拡大の有無に関わらず、私には会いたいと思っても会えない人が沢山いて、そういう人へのやり場のない思いや願いを歌にしている。ので、そういう人に届く可能性があるという点においても、とても貴重な機会を得たと思う。また出られるなら全力でやりたい。
他人を笑わせるのが好きだし、大切な人たちには笑っていて欲しい。私だって笑って生きていたい。沢山面白いギャグを考えたいし、みてもらいたい。
音楽は、笑えないときに寄り添える優しい音楽が作りたい。
他の出演者の音楽は暖かかったり美しかったり、痺れるほどかっこよかったりしてとても元気を貰えた。やっぱり音楽は心のエネルギー足り得るものだと思った。



夏アニメはSunny Boyが面白かった。青春とか、自分の殻を破る難しさとか、失うこととか選択することとか、そういうアニメだった。音楽も映像もストーリーも台詞もよかった。
私も自分の殻を破るのに5000年かけるわけにはいかないので、頑張ろうと思った。世界は何も変わらないけど、自分の未来なら変えられるはずなので。

PLAYBACK

小学校の頃からひとりで続けている趣味がたくさんある。それらが今日のために続けてきたんだなって思う瞬間に出会うことがある。そんな日に出会った。文章を書きたくなったので書く。


最近、夜の街をスケートボードで走るのにハマっている。夜の外灯が、それに照らされる花が、信号が、月が、アパートの窓の明かりが好き。お風呂の匂いも好き。風が好き。荒い路面とクラックは嫌い。暑いのも嫌い。

数年前、社会人は最低限仕事のことだけ考えれば生きていけるので気が楽だと友人がいっていたし、たしかにそうだと思った。最近はあまり深く人生を考えないようにしている。求めなければ苦しまない。でも、転属した部署で急にワンオペさせるのはやめて欲しい。もともと4人で回してた仕事を急に素人ひとりでやらせるのはよくない。忙しくて体調を崩したが持ち前のガッツで堪えた。やらせたらやれちゃうのが駄目。他人の期待を裏切れないのが駄目。自分の首を締めてる。

この春、人生で初めて自分から他人との関係をやめた。いままでわからなかったことが経験として理解できてしまったせいで人生がわからなくなってしまった。

去年の1月、姉の旦那がポケモン好きということで、私が粛々とプレイしていたカードゲームを紹介したらどっぷりハマってしまった。殆どの週末を姉の旦那とのカードバトルで過ごすという小学生顔負けの自粛期間を過ごした。私はいわゆる環境デッキというものが苦手だ。自分が好きなキャラクターを最大限活かして闘うのが好きで、見向きもされていないカードであからさまに強い相手を倒すのが好き。愛が勝利のストーリーを描いてる感じがする。あと見向きもされてないカードは取引相場が安いためデッキが安上がりで済む。今使っているカードは小学校の頃、大型大会で決勝トーナメントまで進んだとき使っていたカードと同じテキストを持つ同じキャラクターのカード。

そういえば先月、姉夫婦に子供が生まれた。ついに叔父です。多趣味の叔父って最強の親族だと思うので多分懐くだろう。私は私みたいな叔父が欲しかった。


やりたいこと、やるべきこと、できること。目標を明確に決めることで人生に指標ができる。なんとなくで生きていると人生がどんどんわからなくなる。終わったと思った人生でやり残したことはなんだろう。