dear my friend

親愛なる友人達に

お元気ですか。僕はあんまり元気じゃないけど、元気になろうと日々頑張っております。日々精進。

 

結局、病気はまた少し悪化してしまって、2ヶ月の療養を貰って平日は基本的に寝て過ごしています。寝るのは好きなのでいろんな夢が見れて楽しいです。夢の中ではいろんなところに行けるしね。

 

最近はたくさん友達に会えるので楽しいです。中学、高校、大学の仲の良かった友達達にあうと、変わってないようで、みんな色々変わってて、結婚したとか結婚するとか。元々友達とこまめに会う方ではないけど、きっとこれからはもっと会えなくなっていってしまうのかもしれないなって思います。みんなそれぞれ人生が充実していくのならそれでいいのだけどね。少し寂しくはなります。遊べるうちに遊びましょう。

 

先々週と先週の休日はフェスに赴きました。東京がお台場の夏の魔物と、福島が白河の風とロック。夏の終わりには毎年このフェスにゆくのだけど、季節の変わり目の空気のせいか、音楽のせいか、昔の記憶が蘇る瞬間に出会うので少しセンチメンタルな気持ちになります。楽しい思い出や、幸せな思い出は、失ってしまった時間を思うと少し胸を締め付けるけど、これからもこの先でそんな瞬間に出会っていけたらいいなと思うと、こんな所で足踏みばかりもしていられないなと思います。日々前進。

 

きっと失うことや別れることは寂しいけど、失うことが寂しいのは幸せだった証拠であるので、そういったことが沢山ある人生の方が豊かではあるのだと思います。沢山出会って沢山手に入れて、沢山別れて沢山失って、人生を豊かにせずにはいられない、そんなエネルギーを沢山抱えて毎日を生きていきたいです。

カナシミ

なにか書きたいのに、言葉が詰まってしまってなにも書けない。どうすればいいんだろう、わからないって頭の中でずっと繰り返してる。

 

働きすぎて適応障害を患った。頑張らなきゃいけない状況だったから自分が間違っていたとは思わなかったけど、自分を大切に出来ていなかったなって反省した。人生は上手くいかない。いくら頑張ったって評価されないし、結果は出てるのかよくわからないし、誰かに迷惑かけたくなくて、どうすれば良いのかわからなくなる。

 

悲しみに寄り添って生きてる。悲しくて辛いし、ストレスは凄いので体に物凄く負担がかかるけど、心には傷がついてきっともっと弱くなってダメになっていくんだろうけど、この悲しみが無くなってしまうと大事な気持ちまで失ってしまうようで、カナシミが辛ければ辛いほどなにか安心することもある。体の怪我が治ってしまうように、跡形もなく悲しみを失ってしまったら大事な気持ちも思い出せなくなってしまったら。こうやって間違えて生きてきたせいでこんなに間違ってる人間になってしまったことが最近わかったのだけど。他人を必要としない生き方は、現代じゃ珍しくもない生き方であると思う。僕は他人を必要としてはいけない人間であると思う。でも、僕の幸福が自分の手に届かないような遠いところにあるとしても、もっと上手に生きたいと思う。たくさんの知識を入れて、たくさん頑張ってその分たくさん苦しんで、もっと上手に生きられるようになったらよいなと思わずにはいられない。間違ったことをたくさん後悔するよ。ずっと。どうしたら良いかわからないけど、たくさん考えてわかるようになりたいよ。もっとちゃんと上手に生きるよ、たくさん笑うよ、もっと優しくなりたい、楽しいことが沢山したい、もっと生きていたいと思うよ。

 

どうすれば良いのかずっと考えてる。疲れたし、脳みそも痛いし、身体も痛いし、ずっと考えてなにも思い浮かばないかもしれないし、心は折れてるし、わからないけど考えてる。

遠くで花火の音がする

ゴールデンウィークが終わった。

初日は関東ではとっくに散ってしまった桜を見に行った。小さい頃にいつか行った角館のしだれ桜を見た。カフェでクリームソーダを食べた。川沿いには沢山のソメイヨシノが咲いていて、風が吹く度に散る桜は綺麗だった。イノシシの肉は普通の豚肉と違いがわからなかった。帰りにピザを食べた。

次の日はたこ焼きを食べた。公園を散歩した。夕焼けが綺麗だった。

次の日は美術館に行った、ザクロのクリームソーダを食べた。風景画が綺麗だった。映画を見た。音楽が綺麗だった。学生の頃はよくわかってたこと、物事には終わりが来ることを思い出した。夜景を見た。昔に比べて沢山マンションがたったと思う。時間が沢山すぎていることを思い出した。

次の日はバームクーヘンというレストランに行った。オムライスとコーラフロートを食べた。おいしかった。散歩をした。昔住んでた家を見た。家の前の怖い廃墟が跡形もなく無くなっていた。

次の日は恋人の実家に行った。かつて彼女の思い出の場所だった廃墟を巡った。家の周りは祖父母の家の近くに景色が似ていた。家族は優しくていい人だった。

次の日は千葉に帰った。

次の日はJAPAN JAMにいった。学生時代の後輩を連れていった。楽しかった。

次の日もJAPAN JAMにいった。1人でも楽しかった。

次の日は映画を見た。よくいくラーメン屋で坦々麺を食べた。

 

いい休みだったので働くのが億劫になった。

 

 

 

Forget me not

何度も反省した筈なのに、また間違いを繰り返すので、私は成長しないなと思った。

 

今年の冬はとても寒い冬だった。長期出張で盛岡に戻った。近年稀に見る大雪で通勤が大変だった。丁度関東に戻った時にも大雪が降って、雪が好きだけど好きなものも程度が行き過ぎると少し考えものであると思った。世の中で最も大切で優れているものは調律の取れているものであると思う。その反面、好きなものにうんざり出来ることは幸福であると思う。足りないよりは足りている方が良いと思う。

 

関東に戻ってきて、涼しくも暖かい風が西から吹く度に、春が近づいてきていることを感じる。好きな漫画家の新刊が出たので読みたいと思い、仕事終わりに本屋に寄ったが、売り切れていた。通りでどこの本屋にも無いわけだと思った。

 

僕の人生ではすべき行動は考えても分からないことが多い。成功事例が少ないので、過去との比較では答えが導出出来ないから。失敗事例は多いため、やってはいけない行動は散々導き出して、行わないようにしようと思っていても、気がつくと行ってしまうことが度々ある。散々痛い思いをしたのに、痛みでも学習できなかった事を虚しく感じている。

 

僕は僕の望む幸せの最中にあるので、幸福に目を向けるとともに、するべきことを間違えないように慎重に行わなければならないと思った。幸福とはスプーンの上に乗せた水を零れないように周りに目を配りながら運ぶような状態であると思う。

 

勿忘草を買ってプランターに植えた。忘れっぽい僕だから、忘れてはいけないことを忘れないようにしたい。いつか思い出した時に、嬉しい気持ちになれる出来事を増やしていきたい。

やさしくなりたいpart2

昔、好きだった人が「好きなタイプはのび太さんのような人」って言った時、周りの人は勿論えーってなってたんだけど、僕は素敵だと思った。

 

のび太は、欲望に弱くて怠惰で、頭が悪いから行動は浅はかで裏目に出るし、これといった取り柄はないんだけど、優しい人間であると思う。彼が弱者側の人間だから、損をする人や悲しむ人に入れ込むのは良心がある人間であれば概して特別であるわけではないと思うのだけど。

ドラえもんっ子の僕は「おばあちゃんの思い出」が好きだった。単純に死んでしまったおばあちゃんとの感動話で見る度に涙を禁じ得ないのは言うまでもないのだけども。歳を取るにつれ、のび太のおばあちゃんののび太に対する愛情のかけ方がとても興味深いと思った。自己犠牲的に傍若無人のび太の我儘を聞き入れ、大っ嫌いと言われても言うことに従い続ける姿勢、これこそが愛の、優しさの一つの正解であると思う。我儘というものは、甘えであり、それを受け入れるという行動は基本的に相手には感謝されないものであり、本人の直接的利益にはならないと思う。だけれども、甘えられるということは信頼されている証であり、頼られるということなので、愛する人に甘えられるということはとても価値のあることであると思った。勿論甘やかすっていうのは教育上は良くないと思う。結果的にのび太は怠惰で傲慢な人間に成長しているし。それでもそういった愛を受けたからこそ、のび太の優しさというものが育まれたのではないかと思う。

反対に、本人のためにあえて厳しく叱るというのもまた愛や優しさの答えだと思う。あえて嫌われてまで、その人のために悪い点を指摘するという行為は、難しい行為であると思う。

 

愛も優しさもキャッチーではないし、難しい行為であると思う。どちらにせよ、対象の相手を第一に考えるのが重要であり、見返りを求めてはいけないと思う。好かれたいとか、感謝されたいとか、相手を意のままに変えたいとか、そういうった欲を捨てて、相手にとって何が一番いいのかを考え続けることが必要であると思う。好きな人間を利用してはいけない。好きな人間の不幸を願ってはいけない。好きな人間の隣にいるのが自分でなくてもよいのだし、好きな人間の幸福が間違ってたっていいのだ。誠実であることは理性的であることで、動物的かつ本能的かつ生存競争的な観点からすれば偉く間違ってるとも思う。それでも僕はそうあるべきであると思う。難しいことなのだけど。

 

今日の昼下がり、黄金色に染まる那須塩原の町のなか、木々の日陰にいる僕からは西日に当たった道路標識の柱が、えらく輝いていて暖かそうに見えた。その時に、あまり実感が湧いてはいないのだけど、僕もまたそちら側に漸く行けたことを思い出して、やるべき事を考え、行動し続けなければならないと思った。悲しい後悔のないように。

 

やさしくなりたい

つくづく自分の心の弱さが嫌になる時がある。

 

他人と話すのが苦手だから、知らない人が沢山いるところに行くのが苦手である。環境が変わる度にその行為を行わないと孤立するため、仕方なく行う事が多いのだけど他人と話すのが圧倒的に苦手なので苦痛だと思う。孤立することは人付き合いがない、という点では楽であるのだけど、その他にたくさんの能力が必要になるので、難しいと思う。他人と関わる時に、いくら取り繕おうとも内面が腐ってるのでとても失言が多い。他人に嫌われることばかり言ってしまう。他人と何を話せばいいのかわからないので話はとてもつまらない。それでも自分に話しかけてくれる人がいることは有難いと思う。自分は許されながら生きているんだなと思う。自分も他人を許しながら生きていきたい。大きい心を持ちたいといつも思う。あと面白い話ができるようになりたい。課題は多い。

他人が自分と関わるメリットというものが自分には人間性の観点からすると明らかに欠落しているので、他人が自分と関わることでメリットを得られるような能力を備えておくようにしてはいるのだけども。他人と関わるのが面倒臭いという怠惰が強い。他人は容姿も優れていて、話も面白くてフランクで、技術や能力もたくさん持っていて凄いと思う。自分にはそういう物がないので他人と関わる難易度が高いと思う。

他人を許す、自分とは違う考え方を認める行為は大事だとは思うのだけど、理解出来ないことを理解する事が苦手である。脳味噌のスペックが低いので経験しなければ理解できないことが多い。出来るだけたくさんの事を経験してたくさんの事を考えたいと思う。大体の他人に対して害のある行動と言うものは、その人の弱さから来るものなので、そういう甘えを許せる人間になりたい。自分が弱い人間であるのでそういうのは理解出来ることが多い。自分は理性を持ってそういう害のある行動は抑制しようと思う。それによって行動が起こせなくなることもある。

傷ついた分だけ、人間は強くなれるとは思わない。物凄く深い傷を負えば、浅い傷に鈍くなることはあるかもしれないけども、それが強さであるとは思わない。頑張れ、とか、そういう言葉が苦手である。悲しければ無理して立ち上がる必要もないかもしれないし、悲しむ必要もないこともあるかもしれない。忘れてしまえるような事は大抵どうでもいい、どうでもよくないことだから悲しいと思う。どうでもよくないことは、その人のアイデンティティを形成する大事な要素であると思う。悲しいことは、自分にとって都合の悪いことであるから悲しくなるのだと思う。逆に嬉しい事は自分にとって利益のあることであるので、他者への攻撃性を孕んでいると思う。単純に他人に対して自分の幸福を見せびらかすような行為はあまり好ましくないことではあると思うけど、利益というもの自体が他者の損益から生まれるものであるので、他人に対し何かしらの害を与えうる感情であるので手放しに喜んではならないと思う。そういった損益のある人間に対して責任を負う必要があると思う。あるとは思うけど、これは自分にとっての考えであるから他人に強要してはいけないと思う。個性を大切にすることと、多様性を認めないことは似ているようでとても異なっていると思う。他人の好みを理解できないのは、単に自分の経験の不足からくる理解力の不足であり恥ずべきことであると思う。人によって幸福はとても違う形をしているので、自分の幸福を他人の幸福だと考えることは間違っていることが多いと思う。社会的に幸福だと思われていることを追い求めた挙句、やっとの思いでそれを捕まえた時にそれが幸福でなかったら取り返しがつかないと思う。社会的に間違っているとされる事が、最も幸福であると定義している人間は大変だと思う。何か行動を起こす事は苦しいことなので、たくさん苦しみたいと思う。苦しんだ分だけ生きるのが器用になればいいと思う。

 

 

急行電車

最近夢でよく見るのは、見慣れた海と、蜘蛛の巣のように張り巡らされたレイルの上を走る電車と、エレベータが沢山ある高層ビルにいる夢。

 

 

向こうから戻ってきてから4週間も経ったのに、始発で戻るはずが残業終わりに転がるように終電で戻ってきたせいで荷物と気持ちを少し置いてきてしまったようだ、と思う。

 

行きたくもなかった都会での一人暮らしで、社会の歯車になって、お偉いさん達の傍若無人に振り回されて、色々なことがこの年になって漸くわかり始めている。自分で金を稼いで生きるようになって、漸く社会で生きている大人に少しは近づけたのかもしれないけど、まだまだ自分は尻の青い子供であるとも思う。

 

こちらでの生活は、向こうでの生活とはまるで真反対で、こちらは海もなければスケートボードを流せる広い道路もないけれど、向こうにはないものの方が僕にとっては大切であると思った。

あまりに生活が違うので、夢から覚めた後に、どちらが夢なのかわからなくなってしまうことがある。今自分がどこにいるのか。最近は夢のようないいこともあるので、出来れば夢ならばもう少しだけ冷めないでいてほしいと思う。

今の日本は銃も戦争も無い国であるから、平和である訳で、平和な国というものは不幸な人間には生きづらい世の中であるものです。向こうの生活では何故かとても戦争や銃火器が甘美なものに感じられてしょうがなかったのはきっと心に余裕がなかったからだったんだろうなと、最近の自分は思う。せめて自分にとって大切な人と、その人の大切な人にとっては幸福で、生きやすい世の中であることを願って。