バスストップ

僕は他人にとっての停留所みたいだと、最近思った。ここは目的地ではない。

 

久しぶりに日記を書く。前の日記からどれくらい立ったのかはわからない。何があったかもあまり覚えていない。

最近の日々はというと、ゆっくりとした凪のような毎日で特に大きな変化もなく、欲しいものもやりたいこともなく、食べたいものもなくとなんだか生きていて楽しいの?って感じの毎日だ。別に楽しくて生きている人なんてそんなに多くないと思う。

疫病が流行っているが、ここは田舎なので対岸の火事って感じだ。自粛で町に人が少なくなるなら嬉しい。パーソナルスペースが広いので人ごみは苦手だ。映画館ではどれだけ空いてようが、たとえ僕のほかに一人しかいなくても必ず一番前の席でみる。新幹線では指定席を取ってデッキで二時間立っている事もよくある。

盛岡に来てからは何かと他人とたくさん関わる機会が増えた。クラブにも行くようになったし、ライブハウスでの知り合いもたくさん増えた。姉夫婦とも休日によく遊ぶようになった。

 

そんなことを言いつつ人肌は恋しくなったりもするので、マッチングアプリをはじめて三ヶ月くらい経つのだけど未だ成果はなし。アプリ内でのメッセージのやり取りの難易度は高いと思う。あんなの、もう殆どナンパじゃないか。相応のテクニックが要求される。そんなテクニック持ってたらマッチングアプリなんてしてないぞ。本末転倒な気がするけどそれでも数をこなす毎に少しずつ進歩は見られるのであと一、二ヶ月の内に一人ぐらいとお茶をしばく程度までできるようになりたい。日進月歩。ナンパマスターに俺はなる。

それとは裏腹に最近は女性の友人もちらほら出来始めた。今までのように追い回して逃げられるぐらいならよき友人になろう、どうせ僕のことなんて好きになる人間なんているわけ無いじゃあないか、とか思ってみたりもするけどそんなスタンスに甘んじているからマッチングアプリ鳴かず飛ばずなんだろう。鳴くまで待って成し得るのは僕の知っている限りでは江戸幕府だけだ。

 

あんまり悩んだりすることもなくなった気がする。楽観的になったというよりはあきらめることに慣れたんだろうか。仕事は苛苛することばかりで辟易する。新しい上司は嫌いなタイプの人間だ。

誰にも聞こえない

知人(友人と書く自信が無い)の劇を見た。

初回なので感想は書けないけれど、久しぶりに文字を打ちたい気分になったので僕のことを書く。

 

僕は去年からよくライブハウスで自分で作った曲を演奏しているのだけど、今年の三月からめっきり曲が描けなくなってしまった。アイデアはあるのだけどそれを形にしようとしても上手くいかなかった。それでも月に三、四回ライブをこなしていたのだけれど、お客さんは月に一人来るか来ないかだし、誰にも必要として貰えないような強い気持ちになってしまい、正直気持ちが折れてしまった。いい曲であるといってくれる人も幾人かはいるのだけれど、自分でもそれなりにはいい曲ではあると思うのだけど、その気持ちを押し通すことは難しいことであると思う。お客さんを呼ぶために出来ることは沢山あって、それをやっていないのだから仕方の無いことで、気持ちが折れること自体傲慢であると思うけれど。

よく書くけど、人間は自分の事をよく知らない生き物であると思う。事実、どれぐらいの人間が自分の事を影で悪く言っているか、どれぐらいの人間が自分の事を好いているか、そういうことを正確に認識できる人は多くはないと思う。完全に他人に認識されないで社会から孤立して生きる人間なら、顕在意識で自分を認識したことが自分にとっての自分足りうるとは思う。けれど、多くの人間にとっては他人が認識するその人が持つウェイトは少なくなくその人であると思う。

そういうのを認識するのはとても難しいと思う。他人はその人にその人の印象を細かく話すことは稀であると思うし、印象を細かく伝える事もまた難しい事であると思う。僕はいつも他人と自分だけが深く繋がっていないような気がするけど、それはきっと事実であるしそして大多数の人がそうであると思う。人は人と深く関わることを基本的に嫌がる生き物であると思うけど、僕はそうでは無いから認識差が生まれるのだと思う。きっと他人から必要とされるような人間ほど、他人と深くは関わらない事を望むのだ。僕は誰にも必要とされていないからこそ誰かと繋がりたいと望むのだ。というよりも、僕が深く繋がりたいと思われるような人間ではないことがいけないのだけれど。人は繋がりたい人と繋がるものだし、輪に入る人と入れない人がいることは当たり前だと思う。全てがそうではないのかもしれないけど、僕と僕が見る他人の見えない壁を可視化するための原理として、限りなく解と近似していると思う。物理学でいうところの定数みたいな話。

そんなことを思ってから僕は他人とあまり関わろうとしなくなってしまった。きっと昔みたいな大きな幸せは来ないかもしれないけど、きっと深くは落ち込むこともないだろう。自分らしく生きるということはいつだって、1種の諦めなのかもしれませんね。

 

僕はできるだけ他人に色々と思ってることを伝えようと努力してきた。努力してきたからこそ、他人に思いを伝えることがとても怖く思うことが沢山あった。伝えないと後悔するかもしれないからと伝えて後悔することも沢山あった。伝えるのを躊躇って後悔したこともあった。後悔しないためにはできるだけ正しい選択をしなければならない。そういう事ばかり考える人生は疲れるものであると、いつも思う。

 

色々頑張ろうと思った。僕はいつだって他人に認められたいのだから。

age of innocent

 

ゴールデンウィークが終わった。今年のゴールデンウィークは長かった。天皇が変わったせいだ。宮内庁は毎年莫大な国家予算を持って行ってしまうので、僕はあまり好きにはなれないのだけど、休みが増えたのは嬉しかった。

最近日記を書いていなかった。特に描きたいこともなかったし、大きな出来事といえばスノーボードの帰りに車を横転させて廃車にしてしまったこと、ぶっ倒れてまで設計した製品が漸く発売したこと、所属する部署が変わったこと、パソコンが寿命でお陀仏したことぐらいでロクなことがなかった。

ゴールデンウィークは2日目にライブをすること以外特に決めていなかったので、1日目にアラバキに行った。前日の夜までどうやって行くか全然決めていなかったところ、1人でゆくという知り合いの方に一緒にタクシーで行こうと誘って頂いたのでとても助かった。初めてアラバキに行って、ずっと見たかった勝手にしやがれというバンドが見れたのでよかった。ブラックジャズは渋くてとてもカッコよかった。たまに一緒にボードをする高校来の仲の良い友人とも会えたのでよかった。高校の頃にカラオケで歌った曲を生で聴けてなんだか懐かしかったし、こういうのも良いなと思った。

ライブはいつも通り。準備が間に合わなくてネタは使い回し。打ち上げで、とてもキャッチーで耳に残る歌を歌う方と漸く沢山話せたのでよかった。

その後は3日ぐらい寝たり、アニメ見たり、車をいじったり、曲を作ったりした。

その後4日間、生まれ故郷の青森に帰った。祖父の家の倉庫の裏に小さく勿忘草が咲いていた。祖母は花が好きな人だった。

2日目、従姉家族と弘前城岩木山神社鰺ヶ沢に行った。弘前城ソメイヨシノは既に散っていたけど、枝垂れ桜と八重桜は咲いていた。出店のノスタルジーな感じが好きだ。小さい頃、お化け屋敷の看板が怖かったのを覚えている。神社はソメイヨシノがまだ咲いていた。僕はまだ初詣を済ませていなかったので、御参りがてら御籤を引いた所、いつも通りの辛口な感じだった。縁談の項が達筆で読めなかった。鰺ヶ沢イカ焼きはよく食べていたのだけど、わさおの店には初めて入った。さわおのサインが沢山あった。わさおの家の少し上の丘に猫のグレ子の墓があり、海の見える風通しの良い素敵な場所で羨ましく思った。

次の日は大学時代のサークルの後輩とドライブをした。駅舎というカフェはレトロな雰囲気があってよかったし、中学校以来久しぶりに行った十三湖はこんな感じだったっけって思った。天気にも恵まれ津軽平野は心地の良い風が吹いていた。夜は水瓶座流星群を見に行った。小さい流れ星しか見えなかったけど、水の貼った田んぼに反射した星は綺麗だったし、カエルの声しか聞えない静寂は情緒があった。

次の日は盛岡に帰り、岡村靖幸のツアー初の盛岡公演を見た。岩手県民会館に入るのは卒業式以来だったのでなんだか懐かしかった。ライブはとてもカッコよかった。周りの年齢層は高かったけど、長くアーティストのことを追っかけていられる彼らを羨ましく思った。

 

青春と共にあった音楽を僕も聞き続けられたら良いと思う。長く青春であり続けることは美しくないけど、いつの日か着いてこなくなった青春を振り返り続けるのは悪くないことであると思う。なんどでも振り返りたくなる瞬間に出会うことはとても有意義で貴重なことであると思う、そんな瞬間を音楽と共にありたい。聴いた時に温度や匂いや景色をフラッシュバックさせてほしい。音楽にはそういう思い出を真空パックしておくような機能があると思う。

最終日は寝たり、楽器を練習したり、漫画を読んだ。明日からオッサンにいじめられるだけの何一つ楽しくない日々が始まれど、また頑張ろうと思う。

 

イエス

神様がいるなら、どうやら私のことが嫌いであるらしい。

 

この三連休は基本的に寝て過ごした。ボードにでも行こうと思ったけど、脳みそと腰があまりにも痛かったので辞めた。せめてと板のメンテナンスをしていたらアイロンでソールを焼いてしまったので悲しかった。ワックスはケチってはならないことを学んだ。

ぼんやりと夕方6時のニュースを見ていた。去年、恋人と恋人になる前に訪れたガラス館が流れた。あの頃は前に進むエネルギーが溢れていた事を思い出した。こう、今見たくないものを偶然によく目にするので、神様がいるならどうやら僕のことが嫌いらしい。高校の頃の、好きだった同級生に振られた次の日に自転車でいつも通らない道を通ったら、その人の苗字・名前の付く看板ばかりが次々と目に飛びん込んできたときは流石に笑った。心で泣いた。

 

今は人生はどうでもいい。頭の痛みだけを感じ、煙草を吸う事だけを求めて生きている。今年が終わろうがこんな日々が終わる訳では無いから精一杯、知ら化くれて生きていきたい。どうでもいいのだ。

シガテラ

また辛いことが重なってしまい、体調を崩してしまった。頑張れどもあまりにも報われもしないので頑張るのが嫌になってしまった。こんな状態で頑張ることが間違っていたのだと、全部投げ出してしまおうと思った。僕はきっと誰からも愛されなんてしないだろうと思った。いくら他人のために頑張ったって誰も僕を必要となんてしないと思った。きっとそれは本当のことであるし、そういうことを求めるのがそもそも間違っていたのかもしれない。それはちゃんと理解しなければならないと思った。

漫画なら僕みたいな冴えない人間が、ヒロインに惚れられてと幸せになるのだろうけど、漫画ではないので僕は幸せになんてならない。それでいい。

 

好きな人たちには笑っていて欲しい。僕は人を笑わせるのが好きだ。好きな人には前に進んで欲しい。その人の時計の秒針が進まなくなったのなら修理したいと思う。

夏とかは焦燥感が凄い反面、クリスマスは寂しくてもかまわないと思う。山下達郎のクリスマス・イブとか、稲垣純一のクリスマスキャロルの頃にはとか、切ないけど好きな曲が多いからだろうか。デパートとか駅前とかの空気感が好きだ。

とにかくもう少し頑張ろう。健康になってからもっと頑張ろう。目的はもう別になくなってしまったけど、どうでもいいから前に進むよ、もう少しだけ。

街に沈んだ海から見た景色

僕は僕を許さないと思うし、僕には何も殺せないので、誰かに殺して欲しい。孤独は1人では殺せなかった。冬は落ち着くので好きだ。景色が寂しくなるからできるだけ静かな海に行きたい。どこにもいけないけど、どこにもいきたくなんてなかった。前に進むエネルギーなんてないけど、ガス欠のままで走り続けたらいつかまた倒れるかもしれないけど、前に進まないとどうしようもないし、秒針はどうしても止まったりなんてしない。無理をしないで生きる生き方を知らない。言葉は他人に何かを伝えるためのツールであると思うので自動詞に願望の助動詞を付けたセンテンスは潜在意識の奴隷であると思う。何をすればいいかなんてわからないし、何がしたいのかもわからなくなってきた。誰かに必要として欲しい、駄目になるまで利用してもいいから、何も求めたりしたりしないから僕に何かを求めて欲しい。他人のためにできることを増やしたい。夢の中で泣くことが増えた。誰も恨んでないつもりなのに誰かに謝って欲しかった。休みの日は交感神経が少しだけ緩むらしく脳みそが痛くて上手く笑えないので人のいるところに行くのは駄目だ。上手に静かに笑っていたかった。上手に笑えなくてごめんなさい。

誰にも認められてなんてないだろうから、誰にもそんな言葉求めたりしてないつもりでも、不意に褒められて泪を堪えられなかった中学校の頃の部活を、高校の頃の部活を思い出した。そんなつもりではなくても深層心理はそうじゃないことなんてきっといくらでもある。耳を傾けてあげないといつか腐って無くなって、探したって見つからなくなるね。無理をしないで幸福になんてなれないと思ってるけど、多分幸福なんて向いてないんだとも思う。次は上手くやるって何度思ったろうね。後悔ばかり増えていくことが歳をとることであるのかもしれない。

それでも前に進んでると考えられもしないようなことが起こる。他人から僕に言葉が飛んでくるようになったことがとても嬉しい。無理してでもなんとか小さい1歩を積み重ねるために今はじっと毛布にくるまってやり過ごす今日を。

秋桜の咲く季節に

すっかり肌寒い季節になった。もうすぐ冬が来るんだね。板の準備しなきゃあな。

 

仕事に復帰して、心配していたほど具合も悪くなく、このまま、また前みたいな色のない毎日に戻るんだろうなって思う。そう思うといつもの海を思い出して懐かしくなってしまうので駄目ね。あの頃には戻れないから、前に進む道を考えなければ。

 

ということで、ライブハウスでライブをしようと思った。学生の頃はオリジナルバンドをほんの少し、先輩に拾ってもらってやった程度だったので、自分で曲を作って演奏するのは初めてのことなので緊張する。手が震えてギターがうまく弾けないので早く慣れたいです。他人がやってないことをやろうとしてるので、自分のスタイルを模索して固めていきたい。ひとりでも楽しいことがしたいね。技術が必要ですね。やれることからやろう。名前はtrack out queenにした。あまり意味は持たせたくなかったから、早口で読むと自分の名前になる様に。自分の名前はあまり好きじゃないんだけど、自分のことをいつか好きになってやれたらいいなって思う。

 

いまはどうしようもないことばかりで滅入りそうになってばかりだけど。

いつか、死ぬ時に素敵な人生だったと思える毎日を。